『遠い指先が触れて』島口大樹

「X」という字のような小説だと思った。「X」は離れていた線どうしがどんどん近づいていって、ある一点で交わり、そして離れていく。ただ、一度交わった線は、交差する前の線と同じだろうか。例えば、絵の具を使って、赤の線と青の線で「X」の字を書いたとしたら、交わった後の線の色合いは異なるものになるだろう。そして交わった跡は消えることなく、紙の上には「X」の字が新たに生まれることになる。

 

主な登場人物は2名。まずは主人公の萱島一志。自分がここにいることに関しての実感に乏しく、常に一歩引いた性格の持ち主として描かれる。

僕はいつの間にか目線を上げて吊革を探しているけれど、埋まっている、と気付けば認識している。(略)みんな僕と同じで身体を持ち同じように意志があって人間なんだ、と当たり前のことにわざわざ気が付いたりしているのは、僕に近しいと言える人間がいないからだろうか。と思った時には僕は自分の考えていることに興味がなくなっていて、少し前にいる、僕と斜めに向き合っている男性の眼鏡から覗かれる歪曲した世界を眺めている(7〜8p)

冒頭の満員電車での出勤のシーンだ。感想が述べられたあと、読点の一拍を置いて、さらに補足したり、考えが放棄されていて、なかなか本心が明らかにならない。

なんかすごいね、と彼女は感嘆して、景色が反射して青みがかった瞳と、ほころんだ頬を、僕の眼は映している(119p)

後半もこのような感じで、あくまでも一歩引いた態度が続く。すごく細かい点まで見ているにも関わらず、「僕の眼は映している」というのは、そこまで観察者でありたいのかと思わせるような表現だ。

この一志の前に現れるのが、かつて施設で一緒だったという少し年上の女性の中垣杏。彼女は一志に幼い頃の記憶が奪われていると告げ、失った記憶を二人で探していく。

杏の記憶に対する考え方は一志とは異なる。

一志はこんな具合だ。

僕の知らない僕がいようがいまいが、何かが変わるとは思えなかった。現在の僕は、確かに生きていたと自覚していたり無意識のうちに了解している過去の僕の重なりであるからしてそれで充足している。過去にいたはずの知らない僕は今の僕からすれば僕ではないのだ。失っているかもわからない僕から遠く離れた僕に、それでも固執する必要があるのだろうか。(44p)

杏はこんな感じ。

私は、なんていうか、別に辛いこととか昔のこととか、忘れてもいいと思うの。それは健全な在り方だと思うの。でも結局、そういう私がいたことが、いなかったことにはなってほしくはない、って思うの。だから、何があったかは、知りたい。(49p)

記憶を奪った大山という男は何者なのか。一志と杏の関係にどういう変化が訪れるのか。失った記憶には何が残っているのか。こういったミステリ的な要素や恋愛的な要素も含まれており、続きが気になる話になっている。

そして、なんといっても特徴的なのはその視点の行き来である。これはもう、ぜひ読んで感じてほしいというもの。SFやアニメでは先行の事例があるかもしれないが、自分が読んだのは初めてだ。ほとんどの小説は人物の交錯が描かれるから、そういう意味では多かれ少なかれ「X」の要素を持つ。ただ、その交わるまでの互いの線の行き来を、そして、一点に収斂する様子をこれほど濃密に描いた作品を自分は知らない。

 

しかし、しかしである。第二章(?)以降も記憶の考え方は違いを見せる。

一志は「失われた記憶を特別視する理由もない。いつだって失っている。失っている、と言えるほど、自分の記憶は自分のものではないのではないか。」(84p)のままだし、杏は「私が今の私で充足しているとしても、彼女が私に対して開かれた状態にあるのであれば、やはり私はそれをきちんと受け止めるべきではないだろうか。耳に蓋をして、彼女の無言の叫びを遠ざけていてはいけないのではないか。」(85p)

大山に会ったあとも、大山に「その失った記憶も私の人生の一部だからです。その記憶は、私のものだからです。」と述べた杏に対して、一志は「果たして失くした記憶は取り戻す価値のあるものなのだろうか。」との反応を示す。そんな二人の仲は、「僕らは同じ部屋にいるけれど、人混みの都市で知らず知らずのうちにすれ違っているかのようだった」となってしまう。

記憶を持っているという人物に会いに行く途中のパーキングエリアで、ホテルで、二人は同じものを見て、それぞれどのように思ったのか。何を見ていて、何を見なかったのか。「X」の字が交差したあとのように、少しずつ離れていくかのようだ。

結局、一志が自身の考え方を振り返るのは失われてからになる。155~156pの自己否定は、一志のような考え方をしていた、数々の青春文学の主人公が繰り返してきた後悔でもある。

後悔をくぐり抜けた先にどうするか。本書では今を大切にするという考え方が示されている。最終シーンの一志と院長のやり取りは、何も生まないかもしれない。ただ、そこに二人がいるということ自体に意味がある。

思えば「X」という字も、中身はわからないが、確かに今、そこに何かがあることを示す字である。そういうわけで「X」の字のように思ったわけである。