エドウィージ•ダンティカの短編小説集で、日本での発行は2020年。八つの作品が収録されていて、ハイチに暮らす人々というよりは、国外で生活する人々に焦点を当てている。
『ドーサ 外されたひとり』
現在はマイアミで介護の仕事に就くエルシーのもとに、元夫のブレイズから電話がかかってくる。ブレイズは、恋人のオリヴィアがハイチで誘拐されたと言う。オリヴィアはエルシーの友人でもあった。自分を置いて去った元夫と友人のために、エルシーはお金の工面をするが、実は裏がある可能性があって‥。
ドーサというのは、「双子から外れた余分な子」という意味のようだ。誰がドーサになるかは、時と場合によって異なる。ただ、ドーサになって初めて生まれる関係性もあるだろう。それは回り道という奴かもしれないが。
『昔は』
ナディアはアメリカで、移住者向けに英語を教えている。彼女自身はアメリカの生まれだが、両親はハイチの生まれである。母が彼女を身籠ったときに、父のモーリスはハイチで学校を開くという夢を見て帰国してしまう。そんなナディアのもとにモーリスが死に瀕しているとの連絡が入る。
「私の最初の儀式の場にいなかったくせに、どうして自分の最後の儀式の場にいてほしいと私に望めたわけ?」は、ハイチで昔の人の誕生と葬儀の様子を聞きながら思ったナディアの独白である。カミュの異邦人を絡ませながら、父への反発から理解へと動く様子が丁寧に描かれる。
『ポルトープランスの特別な結婚』
語り手の「私」はポルトープランスでホテルを経営している。メイドとして働いているメリサンから、自分は死ぬかもしれない、と告げられる。メリサンはエイズだったのだ。さっそくカナダ人の医師の診察を受け、投薬が始まる。薬によってメリサンの症状の悪化は食い止められたように見えるのだが…。
20ページの短編でありながら様々な要素が詰め込まれている。ハイチ人の間でも経営層と労働者層との分断、白人に向ける視点、ある種の医療崩壊、NGOの欺瞞、などなど。真相を知った後の「真実も魔法も癒やしもない」と告げるメリサンの眼がただただ哀しい。
『贈り物』
アメリカとハイチで不動産会社を営むトマスと、アメリカで美術を教えるアニカの会話劇。トマスは妻子がいて、アニカはいわば不倫相手でもあった。トマスはハイチに帰国している間に大地震に遭ってしまう。久しぶりに会ったトマスは、着飾ってきたアニカとは対象的に、痩せてしまい、かつて見られたエネルギッシュな姿は失われていた。
自身でトマスは妻子を失い、自身も義足が必要な体となってしまう。一方、アニカも流産で子供を亡くしていた。トマスに対して複雑な思いを抱きながらも、その先にいたトマスの妻と子の姿をスケッチにとどめ、苦味を包み込むようなアニカの姿がなんとも美しい。
『熱気球』
ネアとルーシーという若い大学生の感情の交錯を描く。ネアの両親は共に大学教授。お金に不自由したことはない。ルーシーはアメリカ生まれだが、両親はハイチの出身の季節労働者。つまりは苦学生である。ネアはレヴェというハイチの女性のためのボランティア団体に関心を持ち、実際にハイチに行くことになる。帰国したネアはルーシーにハイチの女性の過酷な状況を聞かせるのであった。
話を聞いたルーシーは、自分が援助される女性の中に含まれていなくて幸運だったと思ってしまうこと自体が嫌だったっという。この感情は理解できるような気がする。少しボタンの掛け違いが起きていれば、自分もアメリカの若者に哀れみの目を向けられていたからだ。ネアと自分の間にある溝を知りながらも彼女に寄り添わんとするルーシーにしみじみとさせられる。
『日は昇り、日は沈み』
キャロルとジーンという母娘を軸とした物語。キャロルはハイチから渡ってきて、ときには陰でアルバイトをしながら懸命に子育てをしてきた女性だ。一方、娘のジーンにとっては過干渉だったのだろう。キャロルに認知症の症状が現れると、互いの関係は悪い方へと向かってしまう。そしてとうとうキャロルはジーンの子供を奪い去るという行動に出てしまう。
母と娘という普遍的なテーマを扱いつつも、背景にはやはりハイチの過去の出来事がつきまとっている。最後にジーンが言う「ありがとう」の声はキャロルに届いているのかどうか。
『七つの物語』
子供の頃にブルックリンで共に過ごしていたキャリーとキンバリー。キャリーは実はある島国で首相を務めていた人物の娘で、その父が暗殺されたために逃げてきたのだという。今は母国戻り、若い新首相の妻となっている。キンバリーはキャリーに招かれ、その国を訪れる。
島国の名前は出てこない、いくつかの国を調べてみたが、おそらくは架空なのだろう。他の作品とは異なり、首相夫妻のセレブな生活も描かれている。だが実際の姿はそうではない(「私たちと一緒にいたらこの国の本当の姿は見られない」というキャリーのセリフが残る)。そして、同様に表に出てこないキャリーの母。最終盤でキャリーとその母が、島のすべてを眺める姿に気品と誇りが感じられて美しい。
『審査なくして』
これまでの作品とは異なり、これはアーノルドという男性を中心とした話になっている。最初に言う。名作である。
ストーリーはアーノルドが過去の思い出を振り返るというものだが、そのシチュエーションが高層ビルの作業場の事故で落下している最中なのだ。つまり、必ず死んでしまうという状況の中で、読者は彼の思い出に触れていくことになる。
アーノルドはダーリーンという女性と、その息子で少し障害のあるパリという男の子と暮らしている。彼はいわゆるボートピープルで、途中で船から降ろされ泳いでアメリカに到着した。それを助けたのがダーリーン。彼女自身もボートピープルで、途中で夫を失っているシングルマザーでもある。やがて、この三人の間に愛が生まれて‥。
ストーリー自体はある種の典型に見える点があるかもしれないが、残りの時間がわずかであるからこそ、過去の思い出が一層美しく見える。アーノルドの最後の歌と言葉が風のようにダーリーンとパリの耳に届くシーンは崇高という言葉がふさわしい。