『ジャコブ、ジャコブ』ヴァレリー・ゼナッティ

 著者のヴァレリー・ゼナッティは、フランス生まれだが、彼女の両親は、フランス植民地時代のアルジェリアで生まれており、アルジェリアの独立に伴ってフランス本国に移住したそうだ。このような人々を「ピエ・ノワール」というらしい。ゼナッティ自身は、10代でイスラエルに移住し、そこで兵役を経験したのちにフランスに戻り、執筆活動を始める。日本では絵本が出版されているが、小説はこれが初の出版である。原著は2014年に発行されている。

 

 本書の主人公であるジャコブのモデルは(おそらくは)彼女の祖父の弟で、第二次世界大戦で若くして戦死した。本書は二部構成で、第一部は、そのジャコブの目を中心として戦時中のアルジェリアの社会やユダヤ人の家庭、軍隊生活を描く。第二部は、ジャコブの死が家族にもたらした動揺、アルジェリアとフランスとの間で行われた戦争、そしてそれに巻き込まれる一家の運命を描いている。

ストーリー

 アルジェリアコンスタンティーヌの街に暮らすユダヤ人の青年のジャコブは、家父長制の強い家庭にあっては例外的に優しく、陽気な青年。母や義理の姉の愛情を受け、年少の甥や姪にとっては優しい兄のような人物でもある。学校の成績も良く、19世紀のフランスの詩人を愛好する文学青年でもある。アルジェリアユダヤ人は戦時中の一時期は学校からも追われるが、戦況が好転にするに伴ってフランス軍の兵士として召集されるようになる。物語は入営の前日から始まる。

 当時のアルジェリアは、フランス本国にルーツを持つ人々と、ユダヤ系の人々、ムスリムの人々が混在して生活していた。軍隊でジャコブは自身とは異なるグループの兵士とも戦友になり、過酷な戦闘を前にして自らが培ってきた人間性との相剋に苦悩する。ジャコブの苦悩がストレートに描かれるので、知らず知らずのうちに彼の内面と声と共鳴していくことになる。読者としては無事の帰還を祈らずにはいられないが、残念ながら戦死してしまう。

 第二部の前半は、ジャコブの死が家族にもたらした動揺が描かれる。中でも母のラシェルの心情は痛ましいものがある。

 戦後のアルジェリアの社会ではフランス系住民とムスリムとの対立が先鋭化し、戦争に発展していく。本書でも描かれているが、両住民の統合の象徴でもあった歌手のシェイク・レモンの暗殺はユダヤ人社会に決定的な影響を与え、多くの住民がフランス本国に移住することになったという。

 物語は1969年のラシェルの死で閉じられることになるが、ジャコブの思い出は最後に至って次の世代に引き継がれていくことになる。このあたりの循環するような描写は美しいと思った。

 続いて、本書の特徴のようなものをいくつか挙げておきたい。

文体

 本書の特徴として、まずは文体が挙げられる。

 前述のように第一部では、ジャコブの視点から社会や心象を述べるだけではなく、それぞれの登場人物の行動も第三者的な視点で描く。さらに、その視点はジャコブ以外の登場人物の内面にも立ち入り、彼女らの内なる声を読者に響かせる。例えるならば、ヘッドホンをセットして、自分も一緒に作者の語りに耳を傾けるといった形であろうか。

 一方、第二部は過去形の文体になる。第一部の期間がジャコブの入隊とその死までという短い期間だったのに対し、第二部はその死から数十年後の期間が描かれる。第一部で登場した人物も、ある者は亡くなり、ある者は独立していくので、否が応でも時の流れを感じさせる。こちらは、ヘッドホンをセットして、作者の説明を耳にしながらアルバムのページをめくっていくという感覚に近いかもしれない。

料理

 料理や食べ物についての記述が多いことも本書の特徴だろう。47ページには次のような描写があり、料理が軍隊と家庭を繋ぐ糸であることが分かる。

最初の幾晩かはそれでも母親たちが作ってくれた焼き菓子やファルシでひどくまずい食事もなんとかしのいでいたが、それがとうとう底をついてしまうや否や、過去を現在につなげる糸が切れてしまった。

 また、母のラシェルがジャコブの消息を尋ねる際は、差し入れとして具体的な食べ物を持参しており、その準備の様はこんな具合である。

義娘よ、棚に入っているものを全部、お出し、アニス入りパン、モンテカオ、セモリナのケーキ、それにもちろんパンと、クロッケと、ファルシもだ、それを全部、二つのカゴに入れておくれ、ジャコブに持っていくんだ。

 地元の食べ物なのでイメージがしづらいが、自分の好きな日本のお菓子を入れてみれば、息子を案ずる母の思いがよくわかると思う。

その他メモ
  • エピグラフにはカミュの『最初の人間』の一節が引用されている。カミュは1913年生まれなので、仮にジャコブがもう少し早く生まれていたら、アルジェリアからフランスに渡ってカミュと接点を持ったかもしれないなと空想してみた。
  • ジャコブはすでに出発していたとはいえ、ラシェルが軍の中尉から話を聞いて兵舎に到達できたというのが意外。フランス軍だからなのか。
  • 実際のところ、行軍中のトイレ問題はどのように対処していたのだろう。
  • 「ジャコブ抜きで戦えるんだったら、なんだって最初から招集したのさ」。日本ではあまり見かけない言い方のような気がする。
  • アルジェリア独立戦争、調べれば調べるほど、悲劇が次々に出てきそう。フランス社会に与えた影響も大いに気になる。
結び

 海外の小説を読む楽しみは、自分とは異なる環境にある人々が、何を考え、どのような生活を送っているのかを知ることができる点にある。おそらく、自分も含めて多くの日本の読者にとって、第二次世界大戦中のアルジェリアの青年の人生とその家族の生活、また、アルジェリア独立戦争ユダヤ人社会の運命というものは未知のものであったに違いない。

 そういった「自分には関係ない」と思いがちな社会を舞台にしつつも、本書が描いた登場人物の内面は人間にとって普遍的なものがあり、時代や地理を超えて読者の心と響き合う。読後は自分の中にも「ジャコブ、ジャコブ」という声が響いている。そんなことを思った。

 ちなみにYoutubeでは作者自身の解説が見られる。執筆の背景など興味深い。

『ジャコブ、ジャコブ』 ヴァレリー・ゼナッティ - YouTube