『セミコロン』セシリア・ワトソン

自分の今後の人生で英語の文章を書くことはあるかもしれないが、その文章でセミコロンを用いることはない。これは断言してもいい。しかし、そもそも、授業で教わった記憶がない。仮定法も教わった、分詞構文も教わった、SVOCの分析は散々やった、でもセミコ…

『足利将軍たちの戦国乱世』山田康弘

日本史の記憶を辿ってみる。室町幕府の将軍といえば足利尊氏に始まり、南北朝統一と金閣寺の義満、くじ引き将軍こと恐怖政治の義教に、応仁の乱と銀閣寺の義政、戦国時代に暗殺された義輝と、最後の将軍の義昭あたりが記憶にある。 実際には他にも将軍がいる…

『ジャコブ、ジャコブ』ヴァレリー・ゼナッティ

著者のヴァレリー・ゼナッティは、フランス生まれだが、彼女の両親は、フランス植民地時代のアルジェリアで生まれており、アルジェリアの独立に伴ってフランス本国に移住したそうだ。このような人々を「ピエ・ノワール」というらしい。ゼナッティ自身は、10…

『ラウリ・クースクを探して』宮内悠介

読んだ後にその本のことを誰かに話したくなるような本は「いい本」である。 過去に誰かが言っていそうな気もするし、「いやいや、『いい本』ってそういうものではない」という向きもあると思うが、自分はそう思っている。 本書は2023年8月の刊行以来、多くの…

『ブックオフから考える』谷頭和希

「ブックオフ」は爆薬のような言葉で、特に「本」が話題となっている文脈では取扱注意である。使い方を間違えると、作家に利益が還元されない、とか、出版文化を壊す元凶、といった指摘がやってきて爆発してしまう。あとには火のくすぶる焼け跡が残るばかり…

『消費者をケアする女性たち』満薗勇

この本の主役は「ヒーブ」という人々である。ヒーブは「Home Economists In Business」の略で企業内家政学士という意味だそうだ。消費生活の発展を背景にアメリカで20世紀前半に生まれた概念で、日本には1970年代から導入された。60年代の高度成長が終了し、…

『雌犬』ピラール•キンタナ

概要 主人公のダマリスは40歳を迎えようとする黒人女性。コロンビアの沿岸部の都市であるブエナベントゥーラの沖にある島で、別荘の管理人をして暮らしている。別荘は地元の村からは少し離れた「崖の上」にある。夫のロヘリオは大柄で、かつては不妊治療にと…

『荒地の家族』佐藤厚志

職場で2011年の3月11日が話題になると、自分はあの時どうしていた、という話になりやすい。職場で、学校で、家で、あの時に遭遇した個別の体験談が、人々の前で語られる。話す人はもちろん、聞く人にも見た映像が聞こえた音が呼び起こされる。言ってしまえば…

『語られざる占領下日本』小宮京

日本の占領期における人々の行動は、まだまだ不明な点が多い。導入で著者が取り上げるのは白洲次郎。終戦から二十年が経過した頃のインタビューで、彼は「非常に忘れようと努力していることもある」と告げる。その理由として著者はGHQの資料を挙げる。そこに…

『天使が見たもの』阿部昭

表題作の『天使が見たもの』を含め14篇が収録されている。先日の竹西寛子の作品集と同様に、いくつかの作品は高校の現代文の教科書に掲載されたものであるという。 『天使が見たもの』は沢木耕太郎の解説がすべてを物語っている。少年の遺書の内容と、その実…

『崩壊』オラシオ・カステジャーノス・モヤ

「ラテンアメリカの文学は登場人物が多くて関係性がよくわからない、そもそも名前からして複雑だ」。そんな心配はこの本に限っては御無用だ。基本的に登場するのは一つの家族。異父•異母の兄弟姉妹はあまり登場しない。そして登場人物の一人、レナ・ミラ・ブ…

『すべて内なるものは』エドウィージ•ダンティカ

エドウィージ•ダンティカの短編小説集で、日本での発行は2020年。八つの作品が収録されていて、ハイチに暮らす人々というよりは、国外で生活する人々に焦点を当てている。 『ドーサ 外されたひとり』 現在はマイアミで介護の仕事に就くエルシーのもとに、元…

『神馬/湖』竹西寛子

副題で精選作品集とあり、1989年に発行された自選短篇集のタイトルである『湖』と、2002年から2003年にかけて発行された『自選竹西寛子随想集』(のうち、高校の教科書に掲載されたもの)を合わせたものとなっている。 表題に選ばれている『神馬』は、1972年…

『遠い指先が触れて』島口大樹

「X」という字のような小説だと思った。「X」は離れていた線どうしがどんどん近づいていって、ある一点で交わり、そして離れていく。ただ、一度交わった線は、交差する前の線と同じだろうか。例えば、絵の具を使って、赤の線と青の線で「X」の字を書いたとし…

『女性兵士という難問』佐藤文香

数日前に、自衛官時代にセクハラの被害を受けた女性に対し、防衛省が謝罪するという出来事があった。その女性は、東日本大震災で被災した時に風呂の準備をしてくれた女性自衛官に憧れて自衛官になったという。そこで思ったのが、少女の風呂の準備をした女性…

『アクシデンタル・ツーリスト』アン・タイラー

発表は1985年。1988年には映画化され、日本で公開されたときは「偶然の旅行者」の題名が付けられていたという。 『アクシデンタル・ツーリスト』は作品中では、主人公のメイコンが手掛けるビジネス旅行用のガイドブックのシリーズの名前として登場する。映画…

『おいしいごはんが食べられますように』高瀬隼子

「おいしいごはんが食べられますように」というのは考えてみると変な言葉だと思う。料理を作った当人が、これから食べてもらう人にかける言葉ではないだろう。「食べられますように」だからお祈り文のようなもので、これを言われた本人がその後に食べるかど…

『ピラネージ』スザンナ・クラーク

読み手の想像力に挑むような小説は、年齢のせいか昔からの性分のせいか、なんとなく苦手意識がある。「なんでこうなった」とか「どうしてこうなるのか」という疑問が解決されないまま、展開の方が先に進んでしまって追いつけないような感じになる。以前、ス…

『眠りの航路』呉明益

呉明益の本を手に取るのは『自転車泥棒』についで二冊目である。他にも邦訳作品がある中で『眠りの航路』を選んだのは、『自転車泥棒』でこの作品が言及されていただけではなく、戦時中の日本の海軍工廠での生活が描かれていること、さらに、三島由紀夫が登…

『デュー・ブレーカー』エドウィージ・ダンティカ

『息吹、まなざし、記憶』にも登場した、トントン・マクートの暴力について関心があったため、引き続き手に取ってみたところ。「デュー・ブレーカー」は「朝露を蹴散らす者」から転じて「拷問執行人」という意味になるという。九つの作品からなる短編集で、…

『息吹、まなざし、記憶』エドウィッジ・ダンディカット

エドウィッジ・ダンディカットはハイチ出身の作家で、この作品以降はおもに作品社から、エドウィージ・ダンティカの名前で邦訳が出版されている。 これは彼女のデビュー作で、作品中でも重要な色である赤の装丁が目を引く。主人公は12歳の女の子のソフィー。…

『賢い血』フラナリー・オコナー

ちくま文庫版で。1999年の発行だけど、ずっとあとになって古本で購入したと思う。帯や裏表紙には「生と死のコメディ」とあるが「生と死の」という修飾に要注意。笑うには微妙なシーンも多いけれど、第5章のイーノックがヘイズを連れ回すシーンはコントのよ…