『崩壊』オラシオ・カステジャーノス・モヤ

ラテンアメリカの文学は登場人物が多くて関係性がよくわからない、そもそも名前からして複雑だ」。そんな心配はこの本に限っては御無用だ。基本的に登場するのは一つの家族。異父•異母の兄弟姉妹はあまり登場しない。そして登場人物の一人、レナ・ミラ・ブロサのインパクトが強すぎるので、どうしても彼女に注目してしまう。ここまで台詞の端々に「!」が出てくると、読む側としては笑ってしまうというか、どんな悪態をつくのか楽しみにすらなってくる。

 

舞台となるのは、ホンジュラスエルサルバドルの中米の二国。この二国間の関係を指す上で有名な言葉は「サッカー戦争」だろう。ただ、wikipediaの同項目にもあるように、いくらなんでもサッカーの勝敗だけでいきなり戦争に結びつくわけではない。長期にわたる確執というか恨み辛みというか、そういう事情があったりするわけだ。

 

本書は三部構成で、第一部はホンジュラスの政治家エラスモとその妻のレナの会話が中心の話である。エラスモは娘のテティの結婚式に出かけようとするのだが、レナは娘がエルサルバドル人のクレメンテ(しかもかなり年上)と結婚したのが気に入らない。出席を巡って口論になり、エラスモがトイレに入ったときにレナは彼を閉じ込めてしまう。トイレのドア越しに交わされる口論が、舞台劇のようで面白い。

 

この二人の会話に登場する国民党と自由党というのはホンジュラスの二大政党で、この話の舞台の1963年11月22日というのは、軍部が自由党政権に対してクーデターを起こしたばかりの時期に当たる。エラスモは国民党の幹部のようで、国民党はおそらく保守派の党なのだろう。1930年代から40年代の終わりにかけて強権的な大統領の与党として、政権を担ってきたそうだ。それゆえだろうか、レナの共産主義者に対する嫌悪感は相当なものである。

また、エルサルバドルは古くからホンジュラスに移民を行っており、さらには1960年代には工業製品の輸出を行っていたという。レナの自身とホンジュラスを同一視するような極端な被害妄想は、こういう背景もあるのかもしれない。

 

第二部はエルサルバドルからのテティの手紙を中心に、前半は1969年5月から12月までが描かれる。サッカー戦争は、この年の7月に発生している。サッカーの試合前後の暴徒の描写は臨場感がある。そして、互いの国のメディアが煽動を行っていることも何度も述べられている。何かきっかけがあれば大規模なジェノサイドに発展していたのではないかと思った。

後半は1972年3月から6月までの時期が描かれる。エルサルバドルでは3月25日にクーデターが発生しており、テティからの手紙と、エラスモの友人の外交官•フェルナンデスの手紙によって、クーデターとクレメンテの死について重層的に語られる。(クレメンテの死の原因は三章で少し触れられる。)

 

第三部は1991年12月から1992年2月までの時期。エラスモはすでに亡く、レナの死に至るまでとその後のミラ•ブロサ家の離散が使用人のマテオの目を通して語られる。エルサルバドルでは1991年にようやく内戦が終結し、政府と戦闘を繰り広げた左翼ゲリラは合法政党へ転換する。

老いたとはいえレナの毒舌ぶりは健在で、使用人に対して容赦ない。死んだエラスモに対しても「色ボケの弱虫」という有り様だ。(マテオ曰く、エラスモが死亡した後のクリスマスに、同情を込めて彼を呼んだというのがこれである。思わず笑ってしまった。)。ただ、語り手のマテオに対する口振りは丁寧で「さん」付けである。この言葉が本当にこのとおりに発せられていたのであれば、レナの別の一面も見えてくる。また、一方的に溺愛した孫のエリは、ホンジュラスに戻る考えは全くなく、もう一人の孫のアルフレディートは厄介者になってしまった。屋敷は売却、レナに関係する手紙は焼却され、レナがいた記録はテティが持って帰ったアルバムと、マテオが譲り受けた農園の名前にの残ることになる。

 

さて、冒頭に戻ると、シェークスピアの『ペリクリーズ』の台詞が引用され、「時こそ人々の王だということ」とある。

残念ながら中米の現代史に詳しくないため、20世紀中盤以降のホンジュラスエルサルバドルの歴史の流れ、つまり軍事政権やサッカー戦争を経てエルサルバドルの内戦の終結までの過程が、両国の人々にとってどのように受け止められているのかは分からない。第三部から30年以上の時がたった今、「昔の方がましだった」という声もあるかもしれない。ただ、本書を読み終えてその時代の流れを振り返ると、見えてくるのは歴史の流れと、その流れに時に乗り、時に惑う人々の姿である。

作中でレナが発する叫びは、歴史の1ページがめくられようとするときに、前のページにいた人間が、そのページをめくる手の動きに抵抗せんとして叫んだ声に通ずるのではないか、そんなことを思った。