『天使が見たもの』阿部昭

表題作の『天使が見たもの』を含め14篇が収録されている。先日の竹西寛子の作品集と同様に、いくつかの作品は高校の現代文の教科書に掲載されたものであるという。

『天使が見たもの』は沢木耕太郎の解説がすべてを物語っている。少年の遺書の内容と、その実際の生活圏の範囲の狭さを考えると胸が痛くなる。

また、『子供部屋』も締め付けられる作品だ。昭和の時期に障害者を家族に持った人々の生活は、今、改めて振り返る必要があると思った。

 

さて、ここでは『子供の墓』という話を取り上げたい。父親が3歳の息子を連れて夏の日に外出する話である。

父は息子を自転車に乗せて寺の墓地を訪れる。息子は墓地で家族の墓石に水をかけるが、死の概念などはまだなく、父親に自身の墓を訪ねたりもする。また、その寺は尼寺だったので、尼にまつわる過去の思い出が途中に挟まれる。思い出をひとしきり振り返ったあと、父は息子を連れて帰路につく。

こういった話なのだが、最後の4ページが実に怖い。怖いというか不気味というか。夏であればセミなどが鳴いている時期であるにもかかわらず、それらがまるで聞こえなくなった、そんな不気味な静けさがある。

 

冒頭では尼寺に行くまでのコースが描かれる。明るい警笛のロマンスカー、大きな音を立てて重機が動く建設現場、青々とした葉と茄子畑、明るい夏の風景のなかで二人は尼寺に到着する。

子供の目当ては寺の墓地。夏の日中なので恐ろしい場所ではない。子どもが変わった形の墓石を指して「ナショナルのお墓」と言ったり、全然知らない他人の家の墓石に水をかける場面もあり、あくまで「面白い場所」である。しかし、「なんてここは暑いんだろう」「足元から火がつくようだ」と暑さ・熱さを強調する事も忘れない。

そして、子どもたちの墓石を見たとき、次のような文章が登場する。子供が遊んでいても、やはりこの場所は墓地であったこと、そして、暑さ・熱さは死にも通じることが一気に結び付けられることになる。

だが、彼の目に止まったのは、近い過去に生命を絶たれた子供たちばかりではなかった。ざっと三十年前の日附をもつ何人かの子供たちをも、彼はその中にかぞえた。生きていれば、おそらく現在の彼の年になっていたであろうその子たちの死は、むしろ彼には親しいものだった。彼等はきっと栄養失調か、空襲の火のなかで何万何千の同類とともに死んだのにちがいない。いつの時代にも子どもはぼろぼろ死んでゆく。ただその死に方が変わっただけだ。

ここで子供の死のイメージが一気に具体化される。「生きていれば…」のところは、自身と死者の間を分けるものがそれほど強いものではなかったようにも見える。

ただ、話は、いったんは、この寺で生活する尼たちの行動や暮らしの方へ進んでいくことになる。まだ、世界は転換しない。子供の「どうして」に少し辟易する様子、若い尼が車に乗るようになって、運転に習熟していく様子、「口に入れるよりは眺めているほうがいい、手のこんだ芸術品んのようだった」と言われるほどの精進料理が出てくる法事にビール、子供の風船を割ってしまって母親に謝る姿…。具体的で、少しコミカル、そしてカラフルな、生活感のある風景が続く。

 

そういった振り返りの時間が過ぎて、父親は子供を自転車に載せて帰るのだが、踏切を越えた後の帰り道は先程とは違う。

まずは、凍りついたアイスクリームがたちまち溶けているように、もう一度暑さが強調される。そして「明るい警笛」もなく登場する、白と青の電車に乗った大勢の人。この話では「白」は死の色なので、これに多くの人が乗っていること、そして人々のカラフルな帽子やバッグが遠くに過ぎ去ってしまうこと、これはまるで、この親子だけが取り残されてしまったかのようだ。

そして世界を一気に変えてしまう次の文章。

地上のすべてのものを灼きつくし、人間どもをあぶりつくして、彼等の身も心もぼろぼろにしてしまう業火。

彼は、その光が、いまも目にしている白昼の戸外のいたるところによみがえるように思い、歓喜とも苦痛ともつかぬもので胸がくるしくなった。砂の下からたちのぼる熱い空気のかすかな流れにも、草の葉の濃い影にも、灼けた石のにおいにも、遠近の家々にひるがえる白い洗濯物の列にも、彼はその光を見た。この白い野が父親自身の幼年の墓だった。

映像であれば、画面一面が真っ白になっていく場面であろう。白い光に包まれた後の残り1ページほどは「死の国」のような無人の町を見て回る姿が描かれる。

子供を連れていることはどのような意味を持つのか。そして消えてしまったのは、周囲の町の人なのか、それとも見ている本人なのか…、そんなことを思った。