『賢い血』フラナリー・オコナー

ちくま文庫版で。1999年の発行だけど、ずっとあとになって古本で購入したと思う。帯や裏表紙には「生と死のコメディ」とあるが「生と死の」という修飾に要注意。
笑うには微妙なシーンも多いけれど、第5章のイーノックがヘイズを連れ回すシーンはコントのようで面白い、第12章の変身のシーンは必見だと思う。


主な登場人物は次の4人。
ヘイゼル・モーツ(ヘイズ)
主人公。年齢は22歳を超えたくらい。得意技は相手を絶句させること、憤激させること。
イーノック・エマリー
トーキンハム市で市営の動物園の守衛を務める18歳。たぶん「コメディ」が似合う男。「もうおれに会えねえかもしれねえぞ」「今と同じようなおれにはな。」
エイサ・ホークス
ヘイズが執着する盲目の説教師
サバス・リリー・ホークス
ホークスの娘。15歳(おそらく)。独特な美的感覚を持つ。「あんたって、ほんとにかわいいじゃない?」
オニー・ジェイ・ホーリー
ヘイズを利用しようとする人物。「そこがあんたがたインテリの困ったところだ」「口先では何か言っても、人の目に見せるものを持っていない」


主人公のヘイズは、真っ赤な夕日の中、青いスーツ(しかも値札付き)を着た人物として現れてくる。黒人のボーイには本人が否定しようとも出身地と名前を決めつけ、世間話をしようとする女性には「あなたは救済されたと思っているんでしょうね」と言い放つ。

こんな人物も彼に関わる人々も普通であるはずがない。
何かというとイエスを持ち出すヘイズ、周囲からは「あの馬鹿」と言われるイーノック、ビジュアルと意味深げな言葉でヘイズにインスピレーションを残すホークス、その娘でヘイズを誘惑しようとするサバス。
この一筋縄ではいかない連中の会話は交わりつつも、最終的には分解していき、全員が離ればなれになっていく。要はお互いがお互いを見ていないということでもある。

言葉というものは厄介なもので、伝え方や解釈の仕方を説明する本があっても、それが届かないときに、どういう世界が立ち現れてくるのか、どのように対処すべきなのか教えてくれることはあまりない。
「相手を怒らせてしまったときの謝り方」という本があるかもしれないが、すっかり元通りに戻せるわけではない。オコナーの描くヘイズは、その言葉ゆえに自分もまた不条理と暴力の世界に飲み込まれていくことになる。

これを反転すると、周囲への違和感に対して何かを言いたくて言えないとき、押し黙らざるを得ないとき、そういうときに本作を思い出すことができれば、ヘイズとの間に何か通ずるものが見えてくるかもしれない。

解説では、オコナーにおけるキリスト教の信仰の問題が説かれており、作品の理解をわかりやすいものとしている。キリスト教を切り口に読み解くのも面白いかもしれない。また、1950年代のアメリカ文学の他の作品との関わりのなかで、本作の立ち位置を探ってみるのも興味深い。

ちなみに本作は1970年代に映画化されているようだ。ネット上で映画の場面を見ることもできる。忠実に実写化したらしく、本作をイメージしやすくなっていると思う。