『消費者をケアする女性たち』満薗勇

この本の主役は「ヒーブ」という人々である。ヒーブは「Home Economists In Business」の略で企業内家政学士という意味だそうだ。消費生活の発展を背景にアメリカで20世紀前半に生まれた概念で、日本には1970年代から導入された。60年代の高度成長が終了し、70年代に日本は低成長に移行する。学生運動が先鋭化・テロ化し、公害の深刻化や食の安全性などの社会不安が高まっていく。これまで企業と一体になって経済発展(大量消費)に取り組んでいた消費者も今までの生活を見直し、企業と対峙するようになる。そのような状況で企業側が着目したのがアメリカのHEIBである。日本ではカタカナの「ヒーブ」として企業主体で70年代後半に協議会が結成された。ただ、アメリカと異なり家政学会、つまり、アカデミズムが関わらなかったことで日本のヒーブは独自に進化を遂げていくことになる。

 

では、HEIBとは何をするのか。アメリカでは、消費者からの声を受け止め、それを別の部門につなげて商品の改良やユーザビリティの向上に貢献しているという。例えば、取扱説明書を読みやすくするといったものがある。また、これは80年代の日本の例となるが、電子レンジの加熱機能とトースターの機能を兼ね備えたオーブントースターレンジ(シャープの「U'sシリーズ」)の開発が挙げられる。ほかにも、ホットケーキミックスに異物が混入していた理由を突き止めたというものがある。これは何かというと、混入の背景には泡立て器の強度不足があり、さらにその先の原因を考えていくと、設計者が男性であるがゆえに「「主婦なら誰しも心当たりのある」使用方法」に気づかなかったため、つまり、ボウルなどにコンコンとぶつけて落とす行為を想定していなかったためだという。こう考えていくと、家電製品や生活用品のセールスポイントの中には、実はヒーブが関わっていたものはかなり多いのではないだろうか。

前置きが長くなったが、本書はヒーブを通して日本の戦後女性史の理解を試みるものである。

ただ、この「ヒーブ」という言葉、少なくとも自分は知らなかった。近年はフェミニズムに関するいくつもの書籍が出版されているが、本書が出るまで聞いたことはない。フェミニズムにおける「ヒーブ」の扱いは、著者の言を引くと次のようにある。

消費者運動を軸に描かれる消費者研究からは、企業サイドの動きは直接にはみえにくい対象であろうし、ウーマンリブを第二波フェミニズムの軸に据える日本のフェミニズム史理解でも、女性性を積極的に背負うヒーブは視野の外に置かれる場合が多いだろう。」

また、上野千鶴子の意見を次のようにまとめている。

・1986年の男女雇用機会均等法にはジェンダー不平等の是正に関して限界があった。

・一方、派遣事業やパートタイムに関する規制緩和が進められ女性の非正規雇用が拡大した。

・その結果、男性並みの働き方で男性並みの成果を上げるエリート女性と、女性並みの労働でケア負担を担う女性との間で分断が生じた。

女性の労働環境が問題になる場合、このような「エリート女性」は育児も労働も死ぬ気でやってきたのでロールモデルとしてはあまり参考にならない存在として忌避されがちである。

だからといって「ヒーブ」は日本の経済活動のなかで疎外されるべきものではない。むしろ自らのアイデンティティを企業文化の中で確立していった存在である。本書はこの過程を丁寧に分析したものである。

 

第一章は日本におけるヒーブの成立の過程を考察する。上の述べたことと重なる部分があるが、家政学の関与が少なかったため、ヒーブの導入は企業のあり方を相対化する方向ではなく、いかに企業の中で女性たちの立場を確立するべきかという点が重要視されるようになった。

 

第二章はヒーブたちの実際の活動が述べられる。資料的な条件で脚色もあるのだろうが、仕事に対する熱い意識と「やりがい」を見出す点が印象的だ。

 

第三章は日本ヒーブ協議会の分析である。ヒーブには先行するモデルがないため、協議会は企業や業種の枠を超えたネットワークづくりに活用されることになった。その中では「働く女性」としての意識が共有・形成されていく。これは女性性を融解する方向ではなく、「女性だからこそ」の視点で何かできることがあるのではないか、との自負を強化する方向へと進んでいくことになる。

 

第四章はヒーブの仕事とケアの考察である。本書では「ケア」を「世話、配慮、気配りといった広義の概念も含みつつ、直接には家事・育児・介護を指すもの」と定義している。家事や育児を効率的に進める商品の開発は、狭義のケアの商品化と見ることができ、消費者の問合せ対応などは広義のケアに該当する。

まず狭義のケアに関しては、予想どおり、「自分でする」という傾向があった。家族に教えるよりは自分でやった方が早い、ケアを担うことが仕事でもプラスになるという考えがあったそうだが、真に自身の意思であったのか、企業側の期待に応えるべく自身の考え方を知らず知らずのうちに合わせていたのか、吟味が必要だろう。一方、広義のケア、すなわち消費者対応はそれ自体にはやりがいは感じられず、社内へのフィードバックを通じて改善に貢献したときに大きなやりがいを感じる傾向にあった。

 

第五章は子育て経験についてアンケート結果を踏まえて確認していく。アンケートの時期は90年代前半で、やはり現在と同様に仕事と家庭の両立に悩む姿が浮かび上がる。特徴的なのは、その両立が仕事にもプラスになるとしてポジティブな方向にまとめていることである。

 

日本企業における消費者対応は、消費者至上主義と批判されることがある。また、過剰なオプション機能がガラパゴス化と揶揄されることもある。ただ、そのような対応を求めたのは、他ならぬ日本の消費者であったことは十二分に意識する必要がある。日本の日常用品や生活家電が今の姿のようになっているのは、絶えざる製品改良のおかげであろう。その中でヒーブの果たしてきた役割は小さくはない。

ヒーブは生活者として、そして企業人として自らの役割を常に自問自答し続けた存在であり、日本の女性労働を考える上で、特異的な存在や分断をもたらした存在として位置付けるのは、彼女たちの尊厳を無視した行為ではないだろうか、そんなことを思った。